三麻の日記

お母さんの毎日

麻雀

こんにちは、NUCOです。
年末シーズンになり、今年も残すところあと3週間と少しになりましたね。

とはいっても日常にさしたる変化はなく
毎日毎日懲りもせずにスキャンダルやら政治問題やら凶悪犯やら変質者が出ましたやらの繰り返し……
日本というのはどうしてこうも、せわしないのでしょうか。

そんな暗い報道とは裏腹に
前日、棋界で有名な羽生さんが永世七冠という偉業を達成したというトピックスが舞い込んできましたね。
私自身、将棋のイロハは持ち合わせてはいませんが
とにかく凄いということがあちらこちらのメディアやネットワークで話題になっていた。
少し前にフォロワーのk君に言われたのですが、
同じ趣味を持ち切磋琢磨しているという点は共通しているが
叩く、晒す、貶めるが大好きな麻雀界とはえらい違いだなと。本当にそうだ。

なんでも将棋界のトッププレイヤーの羽生さんという人間は
棋界の進展を心より願っており、そのためなら自分の思考開示も辞さないそうです。

かたや麻雀団体のトップ層にいる人間はどうだろう?
気にいらない奴がいればあまりにも厳しすぎる(これは人によってラインは違うと思いますが)判定で除名だっり。
ファンサービスなのかなんだか知らんけど○○リーチ、中身を見ればただの割れんばかりの叩きつけててるだけ。
こんなふうに、牌1つとっても扱いさえロクにできない。

仮にも自分がお世話になってる競技道具。
そんな人間が「私はプロのトップ層です」なんて言われても、そこになんの意味があって、何をもってプロでありトップなのか。些か不明に感じてしまう。

プロのなんたるかを語る事は私にはできないけれど、少なくとも進展を目指していく人間がすることではない思いますね。
その程度の民度でプロが認められてしまう事自体が、業界の水準を下げているように思えなくもない。

話は変わってこの前、とある人に
「自分より強い人間が何万といる中で、膨大な時を経てもその強さを越えられなかったら虚しくならないのか」

みたいな言葉を投げ掛けられた。
ほんの少しの間の後に出た私の答えは、NOというものだった。

自分の可能性を信じて続けてきたものが、芽にならなかったとき。確かにそれは虚しさや悔しいと思うにはこれ以上にない 理由でもある。

けれど、こと麻雀。
これだけに関して言えば私の考えはよもやの逆なものでさえあると認識している。

自分を信じていないわけではないけれど、自分の今のレベルがもしも最高水準だとしたら
麻雀はこの程度(自分レベル)の思慮でなんとかなるという末路に至ってしまうと思ったからだ。

例えば分かりやすく天鳳に例えてみる
私の主観であるが数字だけ見たときに、ずば抜けたスキルを持つであろうと想定できる「あさぴんmj」「一蓮」「zeRo」
もちろん瞬間の運の左右の偏りがうまくマッチしていないというのは前提として
このあたりの人間が天鳳位に惜しくも到達とならない事実を見たときに
「彼らのようなトッププレイヤーでさえなれないなら自分なんか到底……」と思うかもしれない、だけど。
同じ人間である以上、彼らに出来て、自分にできない。ということは極めて少ないだろう。
そう考えると、まだまだ自分にできることはあるんだと思えるし
自分の熱意と思いだけで、彼らを越えることも可能だというその事実こそが自分を信じ続ける価値は十分なものだと思える。
麻雀の魅力は人それぞれだけど
いくら時間をかけても、理解には遠く及ばないもの。
それだけで美しい。